愛宕山鉄道は今 平坦線編 その1

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嵐山駅

嵐山はんなり・ほっこりスクエア 京福嵐山駅は、明治43年3月25日、嵐山電車軌道が四条大宮−嵐山間を開業した時に開設されました。その後、昭和4年4月12日から昭和19年12月10日までは愛宕山鉄道との共同使用駅となっていました。
駅舎は、平成14年10月26日に大幅にリニューアルされ、現在は「嵐山はんなり・ほっこりスクエア」として大変な賑わいを見せています。

嵐山駅ホーム1 現在の京福嵐山駅ホームです。愛宕山鉄道は2面2線を使用していました。
愛宕山鉄道は一番右側のホームと真ん中のホームの一部を使用していました。線路は現在の1番線と右の2階建ての白い建物のところに敷設されていました。 当時は右のホームはホーム幅が今よりも広くて短かったようで、1番線の対面にあった愛宕山鉄道の線路は白い建物の右半分あたりに敷かれていたようです。
嵐山駅ホーム2 現在、1・2番線として使用されているホームです。もともとは照明灯のある部分に嵐電用の線路がありましたが、愛宕山鉄道の廃止後、この線路の部分を埋めて愛宕山鉄道のホームとつなげてホームを拡幅しました。
嵐山駅ホーム3 ホーム上から撮影してみました。左側の嵐山電車軌道時代からの部分は赤い石造り、右の愛宕山鉄道時代に作られた部分はコンクリート製です。真ん中の花壇の部分は愛宕山鉄道廃止後に作られました。
嵐山駅ホーム4 京福嵐山駅1番線に停車中の四条大宮行き電車です。昭和19年12月10日までは、ここで清滝行き電車が発車を待っていました。
嵐山高架道路1 嵐山駅ホームから嵐山高架道路の方向を撮影したものです。現在の1番線から延びていた愛宕山鉄道の下り線路は、警報機のあたりを通って、 踏切の奥の白い住宅を経て、現在京福の線路が右にカーブする辺りから左にカーブして嵐山高架道路の部分へつながっていました。上り線路は手前左の倉庫のところを通る形で下り線路と平行に敷設されていました。

嵐山高架道路

嵐山高架道路2 嵐山高架道路(市道宇多野嵐山樫原線)は、愛宕山鉄道の廃線跡に建設され、昭和45年4月18日に開通しました。愛宕山鉄道が走っていた面影はほとんど残っていません。

嵯峨西駅

嵯峨西駅 JR嵯峨野線と嵐山高架道路の交差部分です。愛宕山鉄道はここで省線山陰線をオーバークロスしていました。昭和16年4月11日、この付近に嵯峨西駅が開設されましたがわずか3年しか存在しなかった駅であることもあって正確な位置を確認できませんでした。昭和40年代はじめまでは国鉄山陰線を越えるための築堤跡が残っていたそうですが、嵐山高架道路建設時に撤去されたということです。

→同じアングルで撮影した昭和41、42年ごろの姿はここをクリック

清滝道(嵯峨西−釈迦堂間)

清滝道1 新丸太町通から見た清滝道です。清滝道は愛宕山鉄道の廃線跡を利用して建設されました。新丸太町通から釈迦堂までは嵐山高架道路建設時に同時に整備され、昭和45年4月18日に開通しました。曲線、勾配とも緩やかでゆったりとしたつくりに愛宕山鉄道時代の面影が残っています。

釈迦堂駅

釈迦堂1 釈迦堂駅のあったところです。奥のレストランのあるところに車庫が併設されていました。手前に見えている小公園の部分も構内の一部でした。清滝道建設前には検車坑が残っていたそうです。また、手前の小公園には以前京都市電200型が保存されていたそうですが、現在は残っていません。
釈迦堂2 釈迦堂駅跡を清滝側から撮影してみました。左が車庫跡に立つレストランです。釈迦堂から清滝までの廃線跡は清滝道として昭和35年5月に整備され、それまで愛宕参道経由で走っていた京都バスもこのときから清滝道経由に変更されました。

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